ヒューストン・バレエ団プリンシパルの加治屋百合子さんが代表をつとめるアーティスト支援のプロジェクト〈Hearts for Artists〉(ハート・フォー・アーティスト)のオンラインイベント。プロジェクトは8月2日(日)までで一区切り。
今更ではありますが、まだあげていない参加レポートがたくさんあるので、少しずつ記事にしていきます。
今回は7月26日(日)に開催された「岩田守弘 オンライン・スペシャルトーク」の参加レポートです。トークイベントの3日前、7月23日(木・祝)には「岩田守弘の『美しいポール・ド・ブラ&回転の軸を強化するバレエレッスン』」も開催され、しなやかで美しいお手本を見せてくださいました。
〈Hearts for Artists〉のイベントの収益は公益基金《舞台芸術を未来に繋ぐ基金》に寄付されます。 今回もZoomウェビナーのシステムを利用したイベントで参加費用は1,000円でした。
*レポートはトーク内容の一部抜粋です。
*トークの言葉遣いなどは正確ではありません。およその内容としてご覧ください。
岩田守弘さんのプロフィール
1979年 岩田バレエスクールでバレエを始める
1988年 ロシアバレエインスティテュートで2年間学ぶ
1990年 国立モスクワ・バレエ・アカデミーで1年半学ぶ
1991年 国立ロシア・バレエ団に入団
1995年 ボリショイ劇場研究生になる
1996年 ボリショイ劇場のソリストに昇格
2003年 第1ソリストに昇格
2012年 ボリショイ劇場新館にて、退団記念公演に出演
2012年 国立ブリヤート共和国立歌劇場バレエ芸術監督に就任
2019年 国立ブリヤート共和国立歌劇場バレエ芸術監督退任後、ニジゴロドスキー国立アカデミー歌舞劇場副総裁・バレエ団芸術監督に就任
ボリショイ・バレエに外国人が入団したのも、第1ソリストとなったのも、岩田守弘さんが史上初。
加治屋さんと岩田さんの出会いは、2004年の松本道子バレエ団での「真夏の夜の夢」での共演。加治屋さんがタイターニア、岩田さんがパックを演じました。加治屋さんは当時アメリカンバレエシアター(ABT)入団2年目。岩田さんは加治屋さんのことを「人を惹きつける魅力があった。恋をしたね(笑)」、加治屋さんは「岩田さんのパックは、マネージュが竜巻のようだった!」とおっしゃっていました。
ライバルの出現がターニングポイント
まずはバレエを始めたきっかけからロシアに留学するまでの経緯から。
岩田さんは、バレエ教師だったお父さんの岩田高一さんの元で9歳の時にバレエを始めました。バレエを習っていた4歳上のお姉さんが発表会でプレゼントをもらっていて、羨ましかったのがきっかけとか。
バレエに抵抗はなかったものの、真面目に取り組むようになったのは高校2年生から。
岩田さん「それまでは自分が世界で1番バレエがうまいと思っていた(笑)」
そんな岩田さんが変わったのは、コンクールに出るようになりライバルに出会い「鼻をへし折られた」からだといいます。同世代のライバルは今でも親友だという小島直也さんや久保紘一さん。
高校卒業後、バレエで生きていきたいと思った岩田さんは東京のロシアバレエインスティテュートで2年間学びます。ロシアバレエインスティテュートは、かつてボリショイバレエ学校の教師が常駐してダンサーを育成したバレエ学校のこと。
この学校からのつながりで、岩田さんは19歳でロシア(当時ソビエト連邦)へ渡り、国立モスクワ・バレエ・アカデミー(通称ボリショイ・アカデミー)に留学します。
親元を離れ、日本とは全く異なる文化の国での生活。しかも当時は外国人はとても少なかった時代。
岩田さん「帰りたくなかったかとよく聞かれるけど、寂しくはなるよね。でも「帰る」という選択肢はない。行ったんだから寂しいのは仕方がないからね」
バレエ学校時代の岩田さんは「練習の鬼。練習していないと落ち着かない精神状態」
学校の卒業試験が終わって、練習の場を求めてオーデションなどを受けていた時にロシア・バレエ団からオファーがあり入団します。
自然に道がひらけていった
バリシニコフをはじめとするロシアバレエが好きだったとはいえ、なぜロシアか?と言われるとそこまで深く考えてはいなかったという岩田さん。ただロシアに行けて嬉しいということしかなかったといいます。はじめからロシアで踊りたいと思っていたわけではなく「自然に道が開けていった感じ」だったとのこと。
ロシア人の奥さんと知り合って結婚し、モスクワにいたかった岩田さんは海外公演が多いロシア・バレエを辞め、ボリショイバレエ入団を目指します。バレエ学校時代の校長先生の協力などで許可証は手に入れたものの、ちょうどソビエト連邦からロシアに変わった後の混乱の時代だったため、1年ぐらいボリショイが入団させてくれるのを待っていたそうです。
その間、ボリショイで1日3レッスンもレッスンを受けていたそうですが、ボリショイの1レッスンはなんと45分だったそう。
岩田さん「ロシアのバレエ団はそんなにじっくりレッスンをやらない。レパートリーのリハーサルに重点をおいている」
ロシアのバレエ団は公演数が桁違いに多いので、プロはリハーサル中心の生活になるのでしょうね。
レッスンしないバレエダンサーは??
この流れで、加治屋さんのABT時代の話題に。
ABTはMET(メトロポリタン歌劇場)シーズンの最中は、夜7時から本番がある日でも夕方5時過ぎまで別演目のリハーサルをしていたといいます。
加治屋さん「ロシアからの(ゲスト)ダンサーにはクレイジーと言われていた」
岩田さんも「確かにクレイジー」と驚いていました。
これに対しロシアからのゲストダンサー、特にボリショイのダンサーは本番前はレッスンせずに休養をとる人が多く、当日もせいぜいバーぐらい。加治屋さんが具体的な名前を出すのをためらわれていたので伏字にしておきますが、例えば●●●ワは公演前日は一切何もしない「ノータッチ」、オ●●●は「とにかくレッスンしない(笑)」!
プロにとっては毎日のクラスレッスンが必須なのかと思っていましたが、人によるんですね(笑)
今「やる」ことが素晴らしい
岩田さんの時代とは異なり、現在はロシアに留学する人が増えていることをどう思うか?という質問に対して「素晴らしいことだと思う」とコメントしながら、昨年亡くなったお父さん岩田高一さんのエピソードを紹介してくれました。
岩田さんとお父さんのところに、知り合いの娘さんがロシアに留学したいと相談しにきた時のこと。
岩田さんはその娘さんに対して「バレエは厳しい世界。体型や身体能力など条件が揃わないと、プロとして活躍できないという残酷なところがある、ロシアで勉強したからと行って仕事があるわけではない」ということを話したところ、お父さんはこうおっしゃったそうです。
「そんなことは関係ない。食べていくことではなくて、今自分がバレエをやりたいから行く、そのことが素晴らしいじゃないか」
そんなお父さんの言葉に感銘を受けた岩田さん。
「どんなに成功したっていつかは終わること。成功する人も挫折する人もいるけど、今情熱を持って「やる」ことは素晴らしい。それを応援したい」
ボンダレンコ先生との思い出
岩田さんがロシアに留まった理由は、結婚したということもあるけれど、やっぱりロシアのバレエの環境は素晴らしく、そこで勉強したかったということが大きかったといいます。
「ロシアの先生は情熱的で知識もすごい。いろんなことを本当によく知っている」
岩田さんのバレエ学校時代の恩師はアレクサンドル・ボンダレンコ氏。技術の教え方は独特で、非常に変わった教え方をされたといいます。
岩田さん「バレエの基礎を作ってくれた。僕がまだ踊っていられるのは彼のおかげ。怪我が少なかった。同時に彼は教育者だった。僕を人間として育ててくれた。」
ボンダレンコ氏はウヴァーロフをはじめとし、多くのボリショイのプリンシパルやソリストを育てたことで知られる名指導者。
岩田さん「僕もいい生徒だったと思う。情熱はすごかった。バレエ以外は何にもいらなかった。生徒時代はコンピューターと言われていた。前日やったことを全部覚えてた。今は忘れちゃうけど(笑)」
現在はロシアで芸術監督、指導者として活躍する岩田さん。
「自分の生徒に対しても、ボンダレンコ先生のように教えられると思っていたけど難しかった。特に情熱がないのは、どうしようもない…」
最後に今後日本で活動する予定があるかという質問に対して岩田さんは
「自分は結局日本人。日本のバレエに何か助けになれるか、海外で勉強したことを伝えていけたら。芸術監督をしているのもロシアバレエのシステムはどうなっているのかを学ぶ意味もある。あとは神様がやりなさいと言われたタイミングで、できることをやらせてもらえたら」
「タイミングも大事ですが、できれば私がまだ踊っているそういう活動をしてほしい(笑)私も踊らせてもらいたい」と加治屋さん。
おふたりの今後の日本での活動に期待したいです。
《舞台芸術を未来に繋ぐ基金》について
〈Hearts for Artists〉が寄付を行う《舞台芸術を未来に繋ぐ基金》は、コロナ禍で大きな影響を受けた舞台芸術に携わるアーティスト・クリエーター・スタッフ(個人・団体・企業問わず)の今後の活動に向けた金銭的支援を目的として設立された基金です。
〈Hearts for Artists〉のイベントやアーカイブ配信は終了しましたが、《舞台芸術を未来に繋ぐ基金》は2020年8月25日までクラウドファンディングで寄付を募っています。一口3,000円から寄付が可能です。
《舞台芸術を未来に繋ぐ基金》https://www.butainomirai.org/
おわりに
トークは2時間以上にも及び、まだまだたくさんの興味深いお話がありました。
岩田さんはロシア、加治屋さんは中国、厳しい生活環境での留学経験という、共通の体験を持つおふたりならではの連帯感のようなものを感じた対談でした。ご自身の話をされるだけでなく、加治屋さんからも多くの話を引き出そうとされる優しさ、「バレエ以外は何もいらなかった」という言葉が全てを物語る熱い情熱、明るいお人柄が伝わってきました。
★最後までお読みいただきありがとうございました。